テーマ バルカン半島(バルカン半島についてのまとめと用語などです。)
バルカン半島 | |
あらまし オスマン帝国の影響力が低下したバルカン半島には、ロシアとオーストリアなどがそれぞれ、パン・スラブ主義、パン・ゲルマン主義をかかげ勢力拡大を狙っていた。 またこの地域の独立国・半独立国民族も勢力拡大を狙っており、それらの思惑が複雑な状況を生み出しこの地域は「ヨーロッパの火薬庫」と言われた。 1878年のベルリン会議で、この地域の支配について取り決められ、オスマン帝国下にあった ルーマニア、セルビア、モンテネグロが独立した。 1908年には青年トルコ革命が起こり、オスマン帝国の支配力がさらに低下し、大ブルガリア公国が独立を宣言。 それに危機感を持ったオーストリアがボスニア、ヘルツェゴヴィナの地域を併合した。そのことでセルビアはオーストリアに対し危機感を持った。 バルカン戦争 第一次バルカン戦争(1912-13) オスマン帝国と、バルカン同盟諸国(ギリシャ、ブルガリア、モンテネグロ、セルビア)との戦い。バルカン諸国はロシア主導である(パン・スラブ主義)。オスマン帝国は敗戦した。 第二次バルカン戦争(1913) バルカン諸国同士の戦い。勝利により得た土地の線引きなどが原因で戦争が起こった。ブルガリアが破れ、ブルガリアはドイツ・オーストリア側に接近した。 オーストリアはバルカン戦争により拡大したセルビアとその背後のロシアに危機感を持ち、セルビアはオーストリアがボスニアヘルチェゴビナを併合した事に危機感を持った。 オーストリア・ハンガリー帝国のフェルディナンドがサラエボを訪問した際に、暗殺される事件が起こった。これを引き金にして、オーストリア・ハンガリーはセルビアに対して宣戦を布告した。ロシアはセルビアと同盟を結んでいたので、オーストリア・ハンガリー帝国に対して戦線を布告した。 |
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