古代ギリシャ(古代ギリシャについての情報です。古代ギリシャについて調べよう。)
古代ギリシャ |
あらまし ギリシアでは、ポリスと言う単位で生活が送られていた。ポリスの1つであるアテネの政治は、はじめは王政を経て貴族政であったが、平民は軍事にも参加していたので、次第に政治への影響を求めるようになり、平民が政治に参加するためのいろいろな民主政の制度が作られた。また奴隷もいて、彼らは軍事や政治には参加できなかった。 その後、アテネとスパルタと言う2つのポリスが有力になり、両者は協力してペルシアと戦いこれを破ったりした。その後、アテネとスパルタが他のポリスを従えて互いに覇権を争うようになり、アテネが率いるポリスとスパルタが率いるポリスの間でペロポネソス戦争が起こった。この各ポリスを巻き込んだ全面戦争にスパルタが勝利した後に、ポリス外の勢力が介入した乱戦状態になり各ポリスは衰退し、この地域はマケドニアに征服された。 |
まとめ クレタ文明…クレタ島で栄えた青銅器文明。ミノア文明ともよばれる。(紀元前2000年〜紀元前1600年ごろ) ミケーネ文明…ペロポネソス半島を中心に栄えた青銅器文明。海の民によって滅ぼされた。(紀元前1450年頃〜紀元前1150年頃) ポリスの成立…城壁内にアクロポリス(山)、神殿(アクロポリスに建てる)、アゴラ(広場)などを備え、城壁外に農園などを置く。 アテネ…貴族政から次第に民主政に移行していく。 ソロン…アテネの政治家で改革を行う(紀元前6世紀ごろ)。借金で市民が奴隷として売られるとアテネの国力が低下するので禁止した。また、貴族政(家柄)から次第に民主政(ただし財産別に発言権の差あり)に移行させた。 ペイシストラトス…僭主政治を行う。(紀元前6世紀ごろ) クレイステネス…陶片追放の制度を創設。(紀元前6世紀ごろ) ペルシア戦争…アテネとスパルタが有力なポリスとなった。アテネとスパルタは同盟を結び、ギリシアに遠征してきたペルシア(アケメネス朝)に勝利した。(紀元前492年から紀元前449年) デロス同盟…対ペルシャのためのアテネを盟主とするポリス間の軍事同盟(紀元前478年) ペリクレス…ペリクレスの時代に徹底した民主政治がとられ、またデロス同盟の資金をアテネが自らのために流用しアテネは全盛を迎えた。貴族政のスパルタと対立した。 ペロポネソス戦争…アテネ対スパルタの戦い。スパルタはペルシアの支援を受けてアテネを破った。(紀元前431年から紀元前404年) ソクラテス・プラトン・アリストテレス…哲学者。なお、ホメロスは紀元前8世紀ぐらいの人、プトレマイオスはローマ時代の人。 アレキサンダー大王の帝国…マケドニアがカイロネイアの戦いでアテネを破る。その後即位したアレキサンダー大王が、イッソスの戦いなどを経てアケメネス朝ペルシアを滅ぼしイラン方面を統一。ギリシャ文化が東方にも広まっていった。 ヘレニズム文化…ヘレネス(ギリシア人)に由来する文化である。アレキサンダー大王のギリシャ・オリエント両文化の領域統一によりギリシャ文化とオリエント文化が融合して発展した。 アレキサンダーの死後帝国は分裂し、その後セレウコス朝やパルティアがヘレニズム文化圏を広く支配した。パルティアはローマ帝国と争った。パルティアはササン朝ペルシアに滅ぼされた(226)。 ササン朝は東方西方の国家と交流した。東ローマ帝国と争った。イスラム帝国に滅ぼされた(651)。 |
課題: ユネスコ世界遺産から、古代ギリシアに関係のあるものを1つ選んで調べてみましょう。 |
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